『女子才彩』から産まれた「もう一度会いたい女性」の本。
光畑:番組の取材からいろいろとご一緒していて、今日も本当にありがとうございます。
今日のこちらの著書『女子才彩 わたし色の生き方』ですが、『女子才彩』という番組から生まれたものですね。
まず、この番組についてのお話から始めたいと思います。
石山:『女子才彩』では、様々な分野で活躍する女性たち紹介してきました。
女性には多様な働き方があり、生き方の選択肢がある、ということを発信して来たんですね。
番組をご覧になっていない方にも届けたいメッセージがたくさんあるなと、記録して形に残したいと思っていたんです。
特に若い人たちは、知っている選択肢が限られていると思うんですよ。
もっと自由に人生の選択肢、働き方を作り上げて欲しい。そんなメッセージを届けたくて今回、本を書きました。
光畑:取材もすごく時間をかけていただいて、しっかり取り上げてもらいました。
お話し始めたら盛り上げってしまって、かなり、長い時間お話していた気がします。
石山:(笑)本当に。そうですね。何せモーハウスさんは、目に映るものすべてが面白くて、子連れ出勤とか授乳ショーとか。赤ちゃん連れで接客!なんて。発見が多くて・・
光畑:とてもきめ細かく取材いただきました。
2週にわたって放送があって、インタビューは1時間くらいのを15分か20分くらい編集されていますが、すごく濃い取材でしたね。
しかもそのあと、こちらの本のために別に取材いただいて。
石山:そうですね。本のためにまた3時間かな?お時間をいただきましたね。
光畑:3時間?もっとずっとお話してしまった記憶が(笑)。
石山:今回の本には、いろいろと盛り込めましたね。
TVでは伝えきれなかった光畑さんの秘密をかけたのでは、と思います。紙媒体の良さだったと思います。
光畑:石山さん、これだけ色々と活躍されていらっしゃるとは思えないくらい、フットワークが軽くてらっしゃる。
取材中にイベントがあったのですが、その時にも、突如つくばまでいらしたこともありましたね。
石山:「いいお産の日」の授乳ショーですね。写真も撮りたいので、と、取材させて頂きました。
光畑:写真もご自身で撮られるんですよね。番組をもたれているような方が、つくばまでイベントに来て頂けるなんて、と驚きました。
本の話に入りたいのですが、この番組で取材された100人の女性もどんな視点で絞り込まれたのでしょうか。
すごい方がたばかりなのですが。その中でこの12人を絞り込むのは大変だと思います。
ライフワークとして全員の方をされるのだろうと思いますし、これが第一弾だと思いますが、これはなんだかお答えづらい部分かもしれませんが…
石山:一つには多彩な働き方を伝えたい、という部分で、偏りのないように、年齢層とか職種など幅広くしたというのもありました。
もう一つには、100名の女性の中でどなたを、と考えたとき、実は、直感的にお話をもう一度伺いたい、というのがありましたね。ちょっと聞き足りない、もっと聞きたかったというのがモチベーションにつながった形ですね。
光畑さんのように(笑)。
新しい豊かさ、価値の根源を発見した番組
▲当時の映像
光畑:『女子才彩』は石山さんあっての番組だったと思います。
石山さんはこの番組までの道のりは、どうして、この番組に行き着いたのか気になりますが、ご出身は?
石山:名古屋出身です。
世の中のことを広く知りたい、情報発信の担い手になりたいと、ずっとフリーランスでメディアの仕事をしてきました。
ご縁があって、NHK名古屋で夕方のニュースからスタート。
東京にきて、NHKBS1で経済ニュース番組のキャスターを10年間務めました。
光畑:経済を最初っからやろうと思って10年間続いていたのですか?
石山:私は経済学部を出ている訳ではなかったのですが、経済って「人が生きて行くこと」そのもので、取材がとにかく面白くて…。
デイリーニュースだったので、毎日のニュースを見ていくと点と点が線になってつながって行くのがわかるんですね。
特に、私が経済番組を担当した1998年から2008年まで、日本では失われた20年と言われていますが、アメリカではITが急成長して、後にバブルもはじけましたが、色々なスタートアップが誕生した時代だったと思います。
日本では楽天の三木谷さん、ユニクロの柳井さんなど新しい起業家も出て来て、日本のビジネスを大きく変えた時代でした。
一方で大企業は、従来型のビジネスを見直そうと苦しい時を過ごしましたね。
グローバル化がそれまでにも増して声高に叫ばれて、競争も激しさを増した頃だったと思います。
その中でトップインタビューも担当させて頂いて、色々な経済界の方ともインタビューする機会がありました。大企業からベンチャー企業まで。
私は研究所とか工場といった現場も大好きで、日本で働く人がどう時代と向き合っているか、レポートして来たんです。
光畑:この本でも、現場によく出ていらっしゃいますよね。
石山:皆さん、色々な立場で、経営側、労働者側、正規雇用、非正規雇用、立場は違いますが、この混迷の時代に、それぞれに向き合っている。
でもなかなか正解が見つからない、不透明な時代を生きている。みな、大きなうねりの中で、どうすればよりよく生きて行けるのか、それぞれの立場で向き合って、筋道を見つけていくのがとても重要になっていく。
ところが、企業を取材していると、そうした知恵が見つけにくくなっているような気がして。ビジネスは24時間体制で回さなければ、グローバル化について行けない。
そうなると働き手はみんな疲弊してしまい、閉塞感が蔓延してしまって・・・疲れてしまっているなと感じるようになったんですね。
光畑:そんな流れが今もありますよね。
石山:そう、社会が、次の時代の豊かさ、新しい価値観を求めている、と感じたんです。
そんな中ではじまった番組『女子才彩』で出会った女性たちは既成の価値観にとらわれずクリエイティブで楽しそうで、元気に働いている。
それが衝撃だったんですね。
この人たちはなんなんだろう、どういう知恵を携えているんだろう。
もしかしたら企業の取材だけでは見えてこないものなのかもしれない。これは発信せねば、と、感じました。
みんな下を向いてしまっている日本をどうすれば元気になるのか。
その知恵が、ここにあるのではないかなと。
安倍首相も女性の活力が眠れる資源だと語っていますが、本当に働く女性たちに衝撃を受けて、その潜在力を紹介したい、という思いでしたね。
光畑:すばらしいキャリアを伺いながら、経済番組を10年も携わっていた石山さんが、なぜ女性なんだろう、というのが少し見えて来たと思います。
経営トップを含めて経済の色々な局面を切り取る活動を10年間されていて、その中で見えて来たんだと思います。
『女子才彩』は石山さんあっての番組だと本当に感じます。立ち上げ時点から今のような視点ではじめたのでしょうか?
確信はありましたか?
石山:“女性”という窓を通して取材をはじめて、私も一人の女性として共感し合えることがあると感じました。
また、取材を進めるうちに、女性だからこそ出来ることがある、と感じるようになったんです。
これからの社会に不可欠な視点であり、力だな、と思いました。
番組がはじまった時にはそこまでは思っていませんでしたね。
番組を走らせる中で感じ取って来た事だと思います。
本当に多くの女性たちにお話を伺っていて、光畑さんは著名な方なのですが、人知れず努力をされてきた方を含めて、とてもユニークな視点で情報発信している女性が多くてそれをまず知ってもらいたい。
私も取材するまで知らなかった、ということがありました。
取材するとそれぞれの方の中に私自身も勉強になる部分があります。それは、きっと社会にとっても大切な価値とか考え方ですよね。だから発信したい、と。
光畑:なんで石山さんとはこんなに話が盛り上がるんだろう、と不思議と思ってたのですが、編集者という同じ匂いがしていたのだと感じました。
土曜日のイベントなのですが、ライターズネットワークという、編集者さんやライターさんの集まりがあって、そこで公開インタビューとして、『地球の歩き方』の代表とトークをしてきました。
その中で、「光畑さんは編集者の視点だね」と言われました。
いらしていた編集者やライターの方たちからも「いやー面白かった」という反響が多く…。 紙ではないけどこういう編集もあるんだね、そこが似た者同士だったのかもしれませんね。
自分の楽しい事、新しい事を続ける戦略。
石山:私は最初光畑さんのことを、モーハウスという会社を起業され、青山を始めショップも出され、たくさんのビジネス賞も受賞されていたり、とにかくいろいろと面白い発信をされていて、これはすごい戦略をお持ちなのだろう、絶対に聞き出してやろうと思ってインタユーしたんです。
ところが、まったくそういう感じがなくって。自然体で垣根がなくて、ビジネスに奇策はないんだと取材してわかって、本当に目から鱗でした(笑)。
とにかく、ビジネスを、情報発信を楽しんでいらっしゃる。
でも、そうしたことも、光畑さんのご経歴を伺って、なるほどと得心したんです。
パルコに就職されて、美術に携わっていたという経歴もお持ちで・・・その頃のパルコの情報発信力はすごかったですから。確か初代経営者の増田通二さんの時代で・・・
光畑:増田社長に最後に面接された世代ですね。
石山:美術がお好きで、パルコに入って美術の企画展を立ち上げられていたとか…
光畑:パルコ時代に荒俣宏さんの企画展とかしましたね…
石山:仮に、マイナーな企画でも自分が面白いと信じる物をきちんとコンセプトを作って発信されるという、そういう企画情報発信力をお持ちだと思うんです。
光畑さんは、86年の男女雇用機会均等法の第一世代で、同期には、働くことに意識の高いキャリアウーマンがたくさんいらっしゃったと伺います。
そういう方が起業された訳ですから、すごい戦略をお持ちなんだろうと勇んで取材に入ったんですよね。
光畑:あの頃は「おしゃれなパルコでそれはないじゃない?」なんて言われていましたが、先日知り合いのギャラリーの方にそれを話したら「早すぎた!」と言われています。
石山:半歩どころか、それ以上早すぎたと(笑)。
光畑:でも、それをさせてくれる所が当時のパルコでしたね。その頃にいた人たちの意識がすごい高かったという訳ではなくて、面白いからやろう、情報発信は良いことだよという勢いがありました。
その頃、『下流社会』の三浦展さん、『捨てる技術』の辰巳渚さんとかいらっしゃいました。出勉強をさせてもらった、という意識がありますね。
バブル時代だったから、あれもこれもできたのかもしれませんが、情報発信をするというのが当たり前になりましたね。楽しい事と思ったらやってみる。ただのサブカル好き、かも知れませんが(笑)。
石山:したたかなビジネス戦略がおありのように見えて、実はそうではないらしい。もっと奥深いと思います。光畑さんって。もっと解剖したい。ライフワークにしたいですね(笑)。
光畑さんが「編集者であり、発信者である」というところがモーハウスの鍵を握っている所だと思います。
授乳服を作っているだけではない。授乳服を身につけたお母さんたちが自由に社会に参加できる、その価値観を発信している、正に、編集者だと思います。
いつも「新しいコトにワクワクしている」、というのは簡単そうですが、起きそうに無い事を起こしていく力、また、「立ち上げ」にはとても苦労もあってなかなか楽しめないことですが、光畑さんは立ち上げが好きとおっしゃる。
立ち上げて継続して、しかも楽しんでいる。いつも新しいコトをし続けているのが、実は強さの秘密なのではないか、と思いました。
光畑:秘密って言われてなんだろうと思いましたが、なるほど。立ち上げるのは好き。だけど継続は苦手なんですよ。実は。
モーハウスも初めはうまく行かなかったから、じゃあ、どうすれば良いのか、と、なったから続けられたのかも。最初の授乳服を作ってどんどん売れていたら、「これで良かった」と辞めていて、ここまで続けられなかったと思います。
石山:そうでしたね。最初は受け入れられなかったと言っていましたね。お母さんが「私は我慢するからいらない」って言われて、やはりショックでしたか?
光畑:それは今でもありますね。授乳服を作って、みんなが迎えてくれる、喜んでくれると思っていたので、まさか、自分は我慢するからいらないって言われるとは思わなかったですね。
石山:そこまで状況厳しいとなかなかなえてしまうものだけど。その時光畑さんはどう思われたのですか?
光畑:そうですね。この世の中5人や10人はわかってくれる人がいるかもしれない。その人に伝われば良い。
それでもそういうコトが続くので、それでは私が伝えたい事はなんだろう、と考えて、授乳服を使ってもらう、ということだけではなく、その次を、と考える。
お母さんを社会とつなぐことが目的だと、社会に出て行ってもらう、参加してもらおうと。そういうイベントをはじめて、発信して、と、次々に新しい事を見つけて、やって来たからこそ続けられていたのかもしれませんね。
実は私飽きっぽいんですよ。
続けないといけないとなるのが、自転車をこぎ続けるようでしんどいんですよね。
新しいコトが次々でてきたから15年も続けられて来たのかも。
子連れ出勤に注目が集まったり、ショップを出したり、新しい事をどんどん続けられて来たのがモーハウスだったのかもしれません。
広まったから良い、で、終われないという現実もあります。
私たちが考えるコンセプトはまったく別な授乳服が出始めて来て、これでは社会とはつながれない、授乳服全体の質の問題がでてきているので、それも発信しなければと思いますし…。
石山:自分らしいことをやり続けられる環境を作って来たというのが光畑さんの大事なことなのかな、と思います。
厳しい反応であっても5人でも10人でもわかる人が世の中にいるって信じる、『女子才彩』で出会った女性たちも共通点がありますね。
揺るぎのない信念があるからこそ成立することなんでしょうが、共感者をじわじわ増やしながら活動を続けられる。
すぐに反応がなくても良い、わかる人に届けようという姿勢。
賛同する方、スタッフの方もその考え方に共感して集まって来ているので、思いの共感者を焦らず、確かな価値に基づいて増やしていくというのが、一番すごいことだと思います。
それはとても難しいことのように思えるのですが、光畑さんが説明するとストンと落ちるんですよね。
共感者を無理に増やそうとしていないというか。
光畑:凹みますけど、寝れば治るんですよ。
石山:とても前向きというか…。
光畑:実はとても自尊感情が低くて…。子どもの頃、自分の悪い所を50並べるということをしていました。
石山:そういう所って、逆に強さにもなると思うんですよ。
今の子どもたちって、環境が厳しい時代にあってその中で強さを身につけないといけない。
取材の最後の方に気がついたのですが、光畑さん、「私はあえていい加減にしている」とおっしゃたんですよね。
光畑:そこだけは戦略かも。自尊心に満ちて、自信にあふれている人がいますよね。
ああいう風にはなれないな、と。
特別感のない、神経質で完璧主義な子どもで、子育てと仕事なんて両立できない、なんて思っていた私だったからこそ、こんなにいい加減にいられるようになったのか、楽しくやってられるのか、というのを知りたい人いると思うんですよね。
誰も求めてないかもしれないけど(笑)。
石山:今の自分の楽しさを、子どもの頃の自分に教えてあげたい、と思いますよね。
光畑:もっともらしいまとめになりましたね!
石山:すみません、どうしてもキレイにまとめる癖があります(笑)。
取材を始める時に、光畑さんってとてもメディア戦略がお上手な方、と思っていました。授乳ショーなどもすごく戦略的だと思ったんです。
でも、お話を伺ったら、ステージで何かイベントをしよう、という時に、お金も人もないからお客様に授乳してもらおう、というアイデアが出て、それで始めたとか。
そうした偶然のきっかけを上手く形にしていらっしゃるな、と感心しました。
光畑:私のアイデアではなく、周りから「こんなことはどうかな?」とアイデアが出てくる。
銀座での授乳パレードもそうでしたね。
石山:授乳パレード!
光畑:茨城県のアンテナショップが銀座にあって、県の方から何かご一緒できないか、アンテナショップでアイテムを取り扱おうか、と話していたら、イベントはできないか?という話があって、じゃあトークでも、と話を進めていたら、県の方が「パレードとか、どう?」という提案をいただき…。
石山:でも、それを実現する力がすごいですよね。
核心的な所はしっかりしめている。
そのバランスがすごいな、と感じます。
かちこちには定めていないけど、芯はぶれていない。
はじめて商品を売り出す時に、カタログや製品のクオリティにはかなりこだわっていらっしゃったと伺いました。
最初だから「この程度で良い」ではなく、あるレベルの物を作ろうとされた。カタログづくりは、光畑さんの本職に近いからと受け持ってカタログのクオリティを上げる。
製品づくりは、家庭の事情で、技術はあるけど、いまは工場で働けないという内職の方を見つけてそこに仕事として出した。
しかも、そうした方にしてもらえば、同じお金も生きるから、とおっしゃって。その「同じお金を使うなら、生きる方で」という考え方も起業当初から持っていらしたのはすごいな、と思います。
光畑:winwinというのはあまり好きではないですが、欲張りなんですよ。
一粒で二度美味しい、のが好き。本来怠け者なんです。
あまり手をかけないで解決できないか。少ない手間で最大限の効果を得たい、というところがある、ということもありますね。
それこそ、そういう発信力というと、石山さんの方があるのではないかと…。
番組は終わったあと、すぐにこの本をまとめていらっしゃる。その行動力たるや、拝見していてすばらしいな、と感じました。
縁やチャンスをモノにする「もう一度会いたい女性たち」
▲当日の参加者の様子
光畑:改めて読んでみるとすごい面白い本ですよね。この本の中で、他に印象の残っているという方は…。
石山:皆さんすごく印象的なので…。
光畑:例えばこの澤木さん。なぜ鵜匠ってまず思っちゃいます。
石山:鵜匠とか、海女さんとか、あまりお目にかかるチャンスがないだけにインパクトありますよね。
海女さんは今NHKのドラマでも注目されて、メディアからひっぱり蛸だ、っておっしゃっていましたね。
鵜匠の方は、ご結婚後、派遣で事務の仕事などをされていたのですが、30歳を目前に控えて、「自分は本当にしたことをしていないな」と考えたそうです。
自分は何がやりたいか悩んで、広告の裏に自分の好きなことを書き出したんだそうです。
その中で「鳥が好き」だということで、鵜匠の仕事に就いたとおっしゃっていました。
光畑:鳥が好きで、またなぜ鵜なんでしょうか。しかもご結婚されていて。これが結婚していない20代くらいの女性ならまだわかるのですが…
石山:嵐山の鵜飼を見て、幻想的で荘厳な雰囲気に魅力を感じて、野生の鳥をあんな風にコントロールできるとは、と感動されたそうです。
愛玩動物でない、というのが魅力だったと。
野生の鵜を素手で扱うのでそれこそ手は傷だらけ。
弟子入りを申し込んだら、まず「一羽捕まえてこい」と言われていきなり鵜を捕まえにいったと。そして、見事捕まえ、弟子入り合格。
光畑:すごいですね。
鵜ってかなり怖そうじゃないですか。くちばしも鍵のようで。
石山:その方は、元来、人前で話す事が苦手とおっしゃる方。
でも、女性の鵜匠って珍しいから取材が来るんですね。
取材されて話しているうちに、平安時代から続いている文化を伝承しているんだ、という自覚に目覚めたそうです。
鵜飼は季節限定なので、普段は観光協会職員として鵜飼や宇治の観光のために尽力されています。
好きな事をしていてすごく生き生きされているんですよね。
入口は「好きな事」からスタートされたわけですが、それを実現する行動力。女性はすごいな、と思います
光畑:確かに。
石山:皆さんその取り組みの中から社会に何か価値観を発信しようという使命感をもって動いている、多少の困難にも負けず、やりがいをもって行動されている。
それぞれの使命感は、とても普遍性があると思うんですね。小さくはじめて、試行錯誤をしながらどんどんと大きくしていく。「まずやってみよう!」から始められるのは、女性ならではかなと思うんです。
モーハウスさんの「子連れ出勤」もそうですよね。“小さく働く”働き方が集まって、結果、大きな働き方になる。
光畑:そうですね。どなたもそうですよね。
石山:今日実物をお見せしたいな、と持って来たのですが、こちらの木のおもちゃ。このおもちゃを作っている女性も、お若い頃は、社会の在り方にすごく違和感を感じていて、生きづらかったとおっしゃるんですよ。
子どもの頃に海外で暮らした経験をお持ちで、だから日本的なものの考え方に違和感を持っていらっしゃったのかも知れませんが、好きなことにはすごいこだわりをもっていらっしゃるんですね。
たとえば洋服でもなんでも買いにいっても自分が好きだと思う物に巡り合うまでぜったい買わないという。多少気に入らない部分があるなら無理して買わない、それならいっそ作ってしまおうと。
生き方に“自分らしさ”をもっていらっしゃるんですね。こういうおもちゃをつくるのも、木、という自然の素材で最初から最後まで自ら手掛けられるものを作りたいとおっしゃっていて。
師匠をさがすのも、日本国内で探しても巡り会えず、マイスター制度のあるドイツに師匠を求めて旅をして、この人だ!という方と出会ったそうです。ビザが切れる目前で最後にあった一人のマイスターに、話しただけで感じるものがあったからと弟子入りを申し込んだそうです。
出会って、その人の作品を見る前に、ですよ。この人から学びたい、と。余計な言葉を重ねなくても、深い所で対話することができる師匠と感じたそうです。
取材が終わり、出来上がった本を読んで頂いたら「私ってこんなこと言っていたんですね」といわれましたけどね(笑)
光畑:私のことも書いて頂いているのを読んでいても感じるので、石山さんはこれまで取材ではなかなか切り取られなかったユニークな所を切り取られるんですよね。今までの方とは違った視点で採り上げて頂ける…。
石山:テレビ番組の場合は、どうしてもその枠の時間内でまとめて出さなければならない。映像の力、魅力は大きいですしね。
今回、初めて本を書いてみて、今おっしゃって頂いたような、逆に映像ではなかなか伝えられない“面白い話”を盛り込むことが出来るのは紙媒体ならではの魅力かなと感じましたね。
光畑:本の中で紹介されていた言葉なのですが、しないで後悔するよりも今やってみた方が良い、という言葉が印象的です。
一歩踏み出せないでいる人にとって、当たってくだけろというか、失敗しても死なない、って。
石山:「一歩踏み出す」と言ってしまうと簡単にも聞こえますが、誰もが心のどこかでやはり踏み出せないな、という部分はありますよね。
もちろん、本で取材をした女性たちも、皆さん、踏み出した後にも、試行錯誤はあるのですが、先ほどの木のおもちゃ作家の方のような「運命の出会い」を、皆さん、とても大切にされていますね。
取材させていただいた多くの方が「縁」を大切にしていると感じます。縁を大切にする人は周囲を応援者にしていくのが上手、巻き込み上手だと思います。
和紙クリエーターの堀木エリ子さんが、24歳、まだ駆け出しだった頃に最初に手がけた展覧会があるんです。
畳3畳分の大きな手すき和紙を使って作品を作ってくださいって、一流のデザイナーや建築家の先生方にお願いされたんですね。
その時のデザイナーの先生にもお話を伺いましたが、「デザインというのは挑戦することだから」と、堀木さんの挑戦も応援しようというお気持ちになったそうです。
堀木さんに最初に会った時の印象は、「真正面を向いた女の子だな」と思われたそうです。
自分になんてできないと諦めず、真正面から体当たりして、応援者をとりつけた。
今でも、その時の先生方とはつながりがあるそうで、堀木さんは、ずっとそのご縁を大切にされているんですね。
良い意味で、つかんだら離さない。継続力も、大きな力だと思います。自分には無理だとジャッジしないで挑戦する、という強さがありますね。
光畑:しかも最初は、ディスコで老人から声をかけられてその世界に飛び込んだとありましたね。
石山:自由なんですよね。とらわれていない。
光畑:実は、その老人は他の人にも声をかけていたかもしれない。その中で動いた人だけがこういう事をなし得るんですよね。
運命の出会いを大切にするのは、踏み出すことができたかどうか、というのは大きいと思いますね。
私も中央線事件がなかったらこの世界にいなかったかもしれないけど、電車で授乳したことがある人は他にもいらっしゃるでしょうし。
石山:光畑さんには、ちょっとしたチャンスをつかむ、そういう嗅覚ってあるんですか?
光畑:嗅覚はないんです。色々やってみて、そのうちの一つ、という感じですかね。
将来の夢って子どもの頃書かされるんだけど、それが苦手でした。苦手というよりも、お友達が「医者になりたい」なんて書いているのを見て、「夢を一つにするなんてなんて、夢がない」と思っていました。
石山:色々やってみる、というのもモーハウス的ですね。
光畑:モーハウスの活動もいろいろな取り組みの一つだったんですね。その中でモーハウスは私がいろいろ新しい物をチャレンジできるそういう場所なんだと思います。
石山:できることをまずはやってみる。失敗も受け入れてやってみて違ったらやり直せば良い、いろいろな可能性をつぶさない、夢を一つに絞らない。女性にはそういう力がありますね。
光畑:これからロンドンに移住されステージが変りますね。今後いろいろなことをされようと思っていらっしゃるか教えて頂けますか?
石山:『女子才彩』を通した、光畑さんをはじめとする女性たちとの出会いは、私にとっての財産だと思っているんですね。その方々とのネットワークを大切にしていくと、また何かはじまるのではないかと。
それとこの間、NPO法人子連れスタイル推進協会の打合せに出させてもらったのですが、その時に「海外の女性の働き方は取材されてますか?」とお尋ね頂き、アイデアをいただいたんです。
確かにネットで調べてもあまりないんですよね。国別の社会保障制度の違いなどのレポートはあっても、一人の女性の生き様として、顔の見えるヒューマンドキュメンタリーはまだ少ないのかなと。そんな取材も出来たら、というのは夢ですね。
光畑:『女子才彩ワールドバージョン』をぜひレポートしていただきたい。きっともっと多くの女性がいろいろな活躍をされていると思います。
石山:何かしらネットメディアも立ち上げてレポートしたいと考えています。
私は時折日本に戻ることもあるかと思います。またその時にみなさんと情報交換させて頂き、新しい何かが始まったら、面白いですよね。
光畑:今日はありがとうございました。
BS-TBSで話題のドキュメンタリー番組「女子才彩」が書籍化!
この番組でモーハウスも紹介され、多くの方にモーハウスの活動を知っていただくきっかけとなりました。
『わたし色の生き方』出版を記念して、2013年6月10日モーハウス青山ショップにて行われました。
働き方の多様性と、女性の働き方と、そしてこれから・・・。
再チャレンジを検討している方にぴったりなトークとなりました。